尊敬する方への御礼

  久しぶりに佐賀に行ってきました。サガン鳥栖を離れて以来ですから、もう何年になるでしょうか。佐賀の街もかなり変わっていました。嬉しい変化も多かったです。急に行くことになったのは、佐賀で初めてお仕えした井本勇・元知事の通夜に参列するため。どうしてもお別れがしたくて、トンボ帰りで行ってきました。

 

  井本知事に初めてお会いしたのはもう21年も前になります。井本県政2期目から3期目の企画調整課長、財政課長として、側近くにお仕えできたことは私の生涯の財産です。公共に携わる者としての心構え、ものの見方、人との接し方、生きる上で大切なこと・・・、社会人として、公務に携わる人間として大切なことのほとんどを、井本知事から教わったように思います。

 

佐賀を心から愛し、その気持ちがエネルギーとして溢れている方でした。

県の将来像を描く総合計画を改定する際には、実現可能性や数値目標にこだわる私に「おまえの気持ちは分かるさい。ばってんね、いろんな立場の県民に夢を与える、希望を持ってもらうようにするのもオイ達の役目やもんね。」とおっしゃいました。予算査定ではいつも「県民の税金ばい。鉛筆一本、消しゴム一個から査定せろ」とおっしゃいました。時々の言葉が、今でもその時の風景、その時の知事の声のまま、私の中に鮮明に生き続けています。誰のために仕事をするのか、教えて頂いた方向感覚はちゃんと今も持っております。

 

よくペットボトルに入った黄色いお酒を持って来られ、仕事帰りに一緒に飲ませて頂きました。知事はあまり飲まれませんが、「おい、飲まんね」、と飲ませながら、昔の県政の話や若い頃の話を聞かせて頂きました。まるで戦後の佐賀県史、地方自治の歴史を聞いているようで、今でもしっかりと頭に刻まれています。伺ったお話は、私も誰かに伝えたいと思います。

 

ゴルフがとてもお好きで、知事室にも練習用の短いクラブを置いておられました。私があまりに下手なものですから、「本当のコースはもったいなかばい」とおっしゃり、仕事前に河川敷の練習場で手引きのカートを引きながらマンツーマンで教えてくださいました。こればかりは身につかず、今でも下手なままで申し訳なく存じます。

 

大相撲が好きな私のために、いつも番付表や相撲関係のグッズをくださいました。佐賀出身の木村庄之助さんが知事に表敬に来られた際には、羨ましそうに立っていた私を一緒に連れて行ってくださり、庄之助さんに紹介してくださいました。あれは嬉しかったです。

 

  知事を退任された後の私の二度目の佐賀勤務、そして三度目の佐賀勤務の際には、時折り清和学園に伺い、よもやま話をしながら、これからの佐賀のお話をしたことで、どんなに支えて頂いたことか分かりません。知事在任中と変わることなく、佐賀を愛する気持ちに溢れ、的確な情報分析と洞察をされ、時には励まして頂きました。

 

 井本知事と接しながらいつも、豊臣秀吉ってこんな人だったのかなあ、と思っておりました。「おいは学(歴)がなかけんね。頑張らんとと思ったさい」、「(大切なのは人との)縁やけんね 」、「何くそ」・・。よく出てくる知事の言葉からは、人とその縁を大切にし、自分に欠けるものを努力で補うバイタリティ、厳しさと温かさが滲み出る、太閤さんのイメージそのものでした。

 

  92歳で亡くなる2週間前まで仕事をされ、すっと旅立たれたのもすごく知事らしいです。お通夜でのご子息のご挨拶で、1週間ほど前に「もうよかばい」と漏らされていたことを伺いました。最後まで全力で生きられた知事らしい言葉で、井本知事ならそう言われるだろうな、と妙に納得しました。私もそんな死に方がしたいと思います。

 

多くの参列者で埋まる式場を見ながら、私に与えてくださった人生を支える思い出を、この方はすごく多くの方それぞれに与えて来られたのだろうな、と改めてその偉大さを感じました。私を含めた多くの人の中に井本知事の言葉と思いは生き続けるんだろうなあと。

 

  私はいろんな問題に直面すると「井本知事なら、どう言うのかなあ」と思ってしまいます。また「こう言われるだろうなあ」という答えも何となく分かります。これからもそのようにさせて頂きたいと思います。

 

  本当にありがとうございました。そして、これからも宜しくお願い致します。