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人格についての思索

CAに対するある国会議員の傍若無人な態度の告発に端を発して、この議員が自治体の職員に対してパワハラ的な態度をとっていたことが日々明らかになっている。この方については自分自身がそのような場面に遭遇したことは無かったものの、良く聞いていたことではあったので、問題が表面化して良かったと思っている人が多いと思う。

 

一方でこれは氷山の一角にすぎないとの思いも強い。人柄が良いと思っていた方が選挙で当選した途端に別人のように尊大になっていて驚いたこともこれまで幾度もあったし、「出禁」という言葉も国会議員事務所と陳情に行く立場の自治体職員との関係では時折聞く話だ。本当のところ行きたくて行っている人はほとんどいないので、出禁にして頂いてありがとう、と私などは思ってしまうが。

 

かつてよく上司から「立場が人を創る」という言葉を聞いた。責任ある仕事に向かっていく経験がその人の人格をその責任にふさわしいものに創り上げていくものだ、だからどんな難しい仕事であっても真剣に仕事とその責任に向き合わなければならない、という意味だ。確かにそんなふうにして立派な人格を創り上げて来た方もたくさん存在している。辛い修行や勉学を極める中で技能や業績とともに人格的にも高みを極められる方々が多いのも事実。もちろん議員にもそういう人はいる。

 

ただ立場が人格を悪い方向に変えてしまう例もそれと同じくらい多いのが残念なところでもある。与えられた立場を自らの力量のみで獲得したものと思い込んで自身を過剰評価すると同時に他者を低く見ること、そしてそれを思慮なくストレートに態度や行動に出して他者に必要以上の不快感を与えるとともに自分自身の価値を低下させる、そんな残念な人も多いのが社会である。

 

時代を超えて人間社会に存在する事象。「立場が人格を創る」ということはそのとおりであると思うが、一方で「立場を与えるに相応しい人格」という必要条件もあるのではないかとも思うこの頃である。